第26章 普遍的な社会と、人間であるということ
コスモポリタン
コスモポリタンだなーって思うことがなんか増えた気がするような、そうでもないような。。。
社会は太古から、欲しいものを外の世界から奪ってきて自身のものであると主張してきた
アメリカ合衆国の真髄を表したシンボル、自由の女神像でさえ、パリにエッフェル塔を建設したエッフェルによって設計され、フランスの地に建てられたものだった。
へー知らなかった。てっきりアメリカで作られたものとばかり...。考古学の世界でも昔は欧米の金持ちが道楽で各地の遺物を収集して、結果的に今は自国のものだと主張している(大英博物館とかピーボディとか)
社会の境界がうすくなっているんじゃなくて、奪い合っているっていうのがうまい言語化だなーっておもった。
思えば、日本はなんでもパクる文化だなーっていうのもそうだな。。。
トゥカノアンという総称で知られる二〇余りの部族、あるいは言語集団が住んでいる。それぞれの集団には独自の言語もしくは方言があり、そのなかには類似したものもあれば、相互に理解不能なものもある
相互理解不能なレベルでの言語ってすごいな。。。からの、部族内での結婚はしないってすごい。。。言葉覚えれなくない。。。?っておもうんだけど、普通なんだろうな。。。
国連や欧州連合(EU)などについて広く言えることである。このような政府間組織は、メンバーに本物と思わせるような要素を欠いているために、人々が心から関与することにならない
本物と見做されない理由が書いてあって面白い。逆に下記をコントロールすれば関心度を高められる?
境界線が固定されていない
創設にまつわる壮大な物語や神聖なシンボルや伝統がない